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#16

開幕

 夜も更けた。今夜は舞踏会には持って来いの、静かな晩。

 僕とレイセン君、ノアの三人は身支度を済ませると舞踏会のホールへ向かう。僕達以外にも、招待された人々が寄り集まってワインを注いだり、会話をしたりとざわめいていた。

 女性達は着付けや化粧があるから、僕達の倍はかかるだろうというのが、レイセン君の見通しだった。

「おまたせ」

 僕達の更衣室と正反対の扉から現れたのは、純白のドレスに身を包んだ二人の女性――ベンティスカとフィリアだ。上品な麗しさに、僕は暫し言葉を失った。

「あらぁ~? アクアさん、どこを見てらっしゃいますの??」

「うっ……別に、どこも見てないよ」

「フィリア……あのさ、肩の紐外れそう……」

「あら……お、おほほ……フィリアとしたことが、うっかり長さを整えるのを忘れていましたわ」

「もう……仕方ないなあ」

「ふふっ、こんなに素敵なドレスが着られるなんてね。もう二度とないかも……」

 ベンティスカはドレスの裾を摘み上げ、くるくると回った。幾重にも連なるフリルが垣間見える。

「そろそろ始まりますよ、主催者の御登場です」

 一際大きな扉の向こうから、幼い少年と、後に続いて執事服の青年が姿を現した。青年には見覚えがある――僕達に招待状を渡したルドルフだ。

 金髪の少年は耳元の装飾を揺らめかせ、容姿に見合わない鋭い目つきのまま、口を開いた。

「皆の者、今宵は舞踏会。朝まで踊り明かそうではないか。さあ、存分に楽しんでもらおう。グラスを掲げ、乾杯せよ」

 少年の合図と共に、人々が一斉にグラスを合わせ始めた。ベンティスカとフィリアがグラスを向かい合わせて掲げ、ノアも恐る恐る黒い影と乾杯していた。……僕も慌ててグラスを取る。

「わっ……えっと……」

「ご主人様」

 レイセン君が僕にグラスを差し出し、同じように動作をするよう促した。

「えっ、あ……うん……」

 グラス同士がカランとぶつかり合う。そんな心地良い音色が、僕の脳内に響いた。

 

レイセン君!! 乾杯ってなに? そんなことするなんて聞いてないよ! 見様見真似で、なんとかなったけど……」

 僕は静かに怒りをぶつけた。すると、レイセン君は嫌に微笑むわけでもなく、溜め息を付いた。

「はあ……そんなことも教えなくてはならないなんて。ですが、もう乾杯することはありあせんし、自由に歩き回って、御馳走でも食い漁ってきては如何です」

「僕とお菓子を食い散らかすモンスターを一緒にしないでもらえる? ……それに、何でレイセン君、僕と同じ格好じゃないの?」

 レイセン君はウェイトレスの衣装を身に纏い、ワインを乗せた銀のトレイを手にしていた。

「ああ、これですか。ダンスに誘われないように、ここの者から拝借いたしました」

「へぇー……」

「『どうせまた奪ったんでしょ』と、お思いですね」

「ぎくっ……」

「クク……では、私は仕事に戻りますね。あちらのテーブルに棒付きキャンディーが針山の如く並んでいますよ」

 艶めくキャンディー達が、僕を甘い世界へと誘惑していた。

「えっ!? 早く言ってよ……なくなる前に僕が食べるんだ……!」

 

アクア編

「やっぱりキャンディーは美味しいなぁ……」

 殆ど誰も手を付けていない棒付きキャンディーの山に張り付いてから、どれくらい経っただろう。レイセン君には「自分とお菓子を食い散らかすモンスターを一緒にするな」とは言ったものの、もう半分も山を削ってしまっていた事に気がついて手を止めた。

「ん?」

「やっぱりケーキはうめーなぁ!! ……はっ!?」

 ふと隣を見ると、僕よりも背の高い女性がケーキを食していた。……手の内に収まらないくらい大きなケーキを、いとも簡単に、ひとくち、ふたくち、み……。

「…………」

「な、何でこっち見てるの」

 女性は緋色の長い髪を棚引かせて、僕を睨む。

「それはその、えっと……よ、よく食べるなぁーと思って。だって、ケーキ一三つともを一口で……」

「あーもう!! どうしてそれを言うんだよ!!」

 僕はこの女性を否定するわけではない。しかし、大食い宛らの胃袋と、美貌とは裏腹に発せられる荒い口調が、僕を惑わせた。

「へ? 今なんて?」

「ごほんっ……なんでもない。……で、何? あんたもケーキ食べたいの?」

「一つ分けてもらっても?」

「ああ、いいよ」

 きっと情緒の上がり下がりが激しい人格なのだろう。僕は女性の手の先にあるデザートが、ナイフで切られていくのを眺めた。

「はい、どうぞ」

 桃色のムースをふんだんに塗ったスポンジ生地の上に、ルビー色のナパージュが輝いている。横を覗くと、マカロンが埋め込まれていた。

「ありがとう、これは何て言うケーキ?」

「フランボワーズ」

「ふーん……。綺麗な色だね。食べるのが勿体無いくらいだ」

「そう? なんならあたしが食べてやろうか?」

 女性は怪しい笑みを僕に見せながら、鼻の先がくっつきそうな距離まで顔を近づけた。僕は一歩後ずさり、無理やり口角を引き攣ってみせた。

「……??」

 王国フォシルの本城から、数百メートル離れた場所にある時計塔。その鐘が、零時の時刻を知らせた。

「あ!! いけない。もうあたし帰らなきゃ」

 ふと我に返った青い瞳の女性は、深緑色のドレスを翻して手を振った。

「朝まで踊らないの?」

「そんな訳ないでしょ。……急がないと、ママに怒られる。じゃあね」

「ああ……うん」

「…………」

 僕は去っていく女性と、フランボワーズを交互に見つめ……ただ、ひとこと。

「……変なの」

 

ノア・フィリア編 

 まただ……また、フィリアを見失ってしまった。

「フィリア……? フィリア! ……どこにいるの……」

 僕はどうして、いつもこうなんだろう。フィリアに何かあったら、僕は……。

 

――側に……置いて……――

 

「……いた!」

 フィリアは僕に気がつく様子もなく、グラスを傾けてその液体を眺めている。

「フィリア! 勝手にいなくならないでよ……」

「あら、そんなに心配しなくても、フィリアはいなくなったりしませんわ」

 フィリアはグラスをテーブルに置くと、両手を腰に当てて、僕に満面の笑みを向けた。

 

――殺せよ、早く――

 

「そうじゃない! そうじゃなくて……」

 僕は彼女を力いっぱいに抱きしめた。きっとフィリアは痛がるだろうけど……。何故だか、そうしたいと思わずにはいられなかった。

「ちょっと……ノア!? やめて下さいまし、こんな所で……は、恥ずかしい、ですわ……」

「お願いだから、僕の傍にいて。君を守るのが、僕の役目なんだから」

 桃色のお団子ヘアが、言わば彼女のトレードマーク。だけれど、今はセミロングの髪を肩まで降ろして、横の髪を後ろで一つに束ねている。

 少し大人びた彼女の潤んだ瞳、赤く染まった頬、驚きを隠せない口元……こんな彼女を見られるのは、これが最後かもしれない。思わず僕は溜め息を付く。

「もう……急にどうしたんですの? ノアはフィリアの召使い。ですから、ずっと一緒は当然の義務ですわ」

「……うん、そうだね」

 

――殺したい……今すぐ……僕が――

 

「ふふ。さあノア、フィリアに食後の紅茶を注いで下さいまし。一緒に舞踏会を楽しみますわよ!」

「……わかった」