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#15

『エンゲイジリングとは、装備した者を死の概念から解放させる指輪の事である。また、本来の死から逃れる為の力を与えられる。但し、指輪を外したり、装備した者の肉体が破壊された時、只の人となる事を忘れてはならない。』

 揺動する船の個室で、エンゲイジリングについて記載された書類の解読を進めていた僕は、ある一文に疑問を持ち始めた。

「……何、これ」

『生前の記憶を持つ者は、此の指輪の作用により侵食される事を危惧すべきである。』

 ……生前の記憶? 皆、”今を生きているじゃないか”……。

 そんな時だった。熟読していた文字の羅列に酔ったのは。

「うっ、まずい! うええ……」

 胃の奥から沸々と煮え立つ吐き気に襲われ、口を抑えて曝された露天甲板へと急いだ。

 

「スーーッ……。ふぅ……」

 物がすぐそこまで出かかった時、青い空を覗いた。あと一歩遅かったら、船内に汚物を撒き散らしていたことだろう。

 船を囲んで合唱をする漣の音を聞きながら、肺を満たすように深呼吸をする。うん。とても気分が良い。

「う……うう……」

「そこにいるのは……?」

 僕がようやく落ちつきを取り戻した時、甲板にぽつりと人が佇んでいる事に気がついた。手摺りに身を乗り出して何やら呻き声を上げている……。

「あ……もしかして、ノア?」

「うっ……アクア、君か。僕、船嫌いなんだよ。絶対酔うから……おええ」

「大丈夫? 無理しなくていいから……」

「……君も?」

「うん……まあ、ね。あはは」

 布団のように干されたノアの背中を摩りながら、僕が感じた疑念を、エンゲイジリングに詳しい彼に問いかけてみたくなった。

「ねえ、ノアはエンゲイジリングの事、どれくらい知ってるの?」

「どれくらい……そうだなあ。作り方と、後は死の概念から解放されるって事くらいだよ」

「じゃあ、これは?」


 僕は本の内容を朗読し、ノアに聞かせた。彼は驚愕した表情を浮かべながら、僕の話に耳を傾けている。


「成る程ね、確かにこの文章には違和感を覚えるよ」


「もし僕の推測が正しいなら、既に生前の記憶を持つものは死んでいるということになる」


「そして、エンゲイジリングを装備した者は、何かの作用で記憶が戻ってくる可能性がある……」


 そこまで言い終わると、ノアは眉を顰めて口を噤んだ。


「……どうしたの、ノア」


「……もう、着けてる」


 彼の左手に嵌められている水色すいしょくの指輪。僕は言葉を失った。


「…………」


「フィリアが心配で……ううん、どっちかっていうと興味本位かな。でも、今まで何ともなかったよ」


「もし、さっきのことが本当だったら……」


「侵食される。何かに」


「…………」


「外せば元に戻る。って書いてあったよね。今のもまだ推測段階だし、全てを鵜呑みにする必要はないよ。……でも、まあ、考えてみるよ」

「推測だとしても、グレイの死因は不明で…………やっぱり……」

「…………あ、見て。城が見えてきた」

 ノアは淀んだ空気を振り切って、今夜の舞踏会の会場を指差した。

 

 ***

 

 船を降りた僕達は、王国フォシルへと続く渡橋--フェーン・ブリッジに向かった。丘を登ると、海に浮かぶ優雅な佇まいの城塞が聳え立っている。


「今夜は此処で舞踏会かあ……楽しみだな、ふふ」

「おーっほっほっほ‼︎ 皆様お先ですわー‼︎」

「フィリア待って‼︎ ……はあ。ということで、僕達は先に向かうよ。またね……うっ、気持ち悪い……」

 フィリアがものすごい勢いで脇を通り過ぎていく。ノアは己の容態を気にしながらも、軽く一礼し、甚だしく腕白な少女を追いかけた。

レイセン君、舞踏会ってどんなことするの?」

「主に、貴族階級の人々が集まって舞踊する会の事です。勿論、それに見合うドレスコードで臨まなければなりません」

「……と、言うと?」

「主催する所にもよりますが、基本的にはホワイトタイと呼ばれる正装です。男性は燕尾服に白の蝶ネクタイ。女性はボールガウンと呼ばれる、舞踏会専用の大きなシルエットのロングドレスを着用します。こればかりは行ってみないと確認出来ませんが」

「兵隊さんは何でも知っているんだね」

「この程度は常識の範囲内です」

 

 フェーン・ブリッジの入口に、槍を持った兵士が二人。彼等は兜を深く被っており、表情は闇に覆われている。僕達を侵入者と判断すると、軽々と槍を差し交わし警告した。

「この先は、今夜の舞踏会に招かれた者のみが立ち入ることを許されている」

「我等にそれを証明せよ」

「ええ、きちんと人数分。これで通して頂けますね?」

 レイセン君は易々と招待状を彼等に見せつける。兵士は槍を下ろし、元の立ち位置へと戻っていった。

「さあ、行きましょう。夕暮れ時まで時間がありますので、舞踏会に向けて万全の準備を致しましょう」

「うわあ……この橋、落ちたらまずいよね……」

「魔法使いさん危ないよ。気をつけて」

 橋から下を見下ろすと、穏やかな川が流れていた。吸い込まれそうな感覚と波の音に、身体が縺れる。ぶんぶんと頭を横に振って、威風堂々たるフォシル城を見上げた。

 

町がない王国?

レイセン君、なんで王国フォシルって名前なのに、城下町がないの? どこにも見当たらないよ」

「その昔、王国フォシルには確かに存在したようです。円状に広がり、周りは城壁で囲まれていたそうです」

「ドーナツみたいだね」

「元来であればこの大地ももう少し陸地があったはずですが……。ある日、海中の怪物--リヴァイアサンが、この地を破滅へと導いたのです」

「陸地を、食べ……た……?」

「そうなりますね、丁度王国の中心にある城を残して」

「ドーナツだ……」

「大海原の悪魔が、貴方みたいに大陸とドーナツを見間違えるとは思えませんが。そもそも中心は空洞でなく城ですから」

「なんか、また馬鹿にされたような……」

「そんな事ありませんよ」

レイセン君はナチュラルに心の臓を突いてくるね……変に慣れてきたよ」

 

魔法少女グリエ、参上‼︎ 

 辺りはすっかり日も暮れ、目の前には光が溢れるお城--王国フォシル。……もっと近くに、変な鎧を着た奴らが二人。あたしがフェーン・ブリッジを渡るのを通せんぼしている。

「この先は、今夜の舞踏会に招かれた者のみが立ち入ることを許されている」

「我等にそれを証明せよ」

「そーんなケチなこと言わないで通してよ。あたしのこの美少女顔に免じてさっ」

 両手を顔の前で合わせて、暗くてほとんど見えない鎧野郎に上目遣い。これで通してもらえたら最高なんだけどなあ……。

「それは出来ない」

「……はあ。そう言うと思ったよ。じゃあ仕方ないね」

 ため息をついて呆れてみせる。鎧野郎達は振り返るあたしを見て、構えた槍を下ろしている。……油断禁物。

「強行突破させてもらうよ‼︎」

 まずは高く飛んで片方の肩に乗っかる。それから足で羽交い締めにしてヘッドロック‼︎

「大人しく去れ、この小娘が‼︎」

 もう一方の鎧がこっちに迫ってきている。くるりと一回転して、槍の上に見事着地。それから、槍の先端にチップの代わりを添えて橋へと飛んだ。

「なんだこれは!?」

「う、うわあ‼︎ 煙を出しているぞ‼︎」

「あーそれ、吸っちゃうと暫く起きないよ〜ん」

 土産として設置したのは、吸ったものを眠らせる霧状の粉を放出させる爆弾。紫色の怪しい煙がもくもく泡立ち、鎧野郎を包み込む。

「……ってあれ、もうぱたんキュー? ……前菜より美味しくなかったなー」

 無残にもだらしのない姿勢で眠りについてしまった鎧野郎達はさておき。

「あたしの”お姫様”が待ってるの! 早くしないと舞踏会が始まっちゃうー!」

 着慣れないミニスカートの中はスースーして、気分があまり良くないぜ……。不快な気持ちを堪えて、長い長い橋を駆け出した。