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#14

ストーリー

「あ、あれだ……。セナ! 見つけたよ‼︎」
「えーー? 見つけちゃったのー?」
「でも、ちょっと一人じゃ取り出せそうになくて……ここまで来てくれる?」
「……はーい……」
 僅かな隙間から、至って平凡なタイトルの古ぼけた辞書を発見する。
 本棚と思しき木片を無計画に打ちつけていたせいで、中途半端に粉砕した鋭い木片が牙を向いている。この牙をすり抜けるには、僕の身体では大きすぎる。細い穴に大事なものを落としてしまった時のように、歯痒い気分に陥っていた。
 唇を尖らせたセナに、探していた書物の在処を伝える。……セナの小柄な体型を活かし、その細い腕を伸ばすと、いとも容易く辞書を拾うことに成功した。
「なんか、ちょっと湿っぽいよ……」
「ありがとうセナ。もう此処に用はないから、帰ろっか」
「うん! ボクが一番に見つけられなかったのは悔しいけど、二人きりでデートできたのは嬉しい……ふふ」
 ……そういえば帰り道もなくなってしまったんだ。どうやって帰ろうか……いっそ野営してしまおうか。
「港町に戻ろう」

 瓦礫の山を背後に歩き出した矢先――殺気の様な、突き刺さる視線を感じた。恐る恐る振り向く――紅い魔法陣――悪魔だ。全身が震え上がり、言葉も発せずに口を開けていた。
「そこにいるの、誰⁉︎」
 人一倍周囲の変化に敏感なセナが、魔法陣に向かって包丁の先を向けた。
『ッハハハハハ‼︎‼︎ まさかこんな所に俺の餌が二人もいるなんてなア‼︎』
 狂気じみた笑みを浮かべる黒いローブの化物が、そこに立っていた。鎌を持つ手に皮膚はなく白骨化している。引き攣った顔の半分は溶け、その間を縫うように骸骨が見えている。
「アクアさんは早く行って‼︎ こいつはボクが殺る……」
「そんな……駄目だ‼︎ 危険すぎるよ‼︎」
『まア、どっちも殺すけド⁇ 特にそっちのゾンビは殺さなキャ……ネ⁇』
「……どういう意味⁇」
『しらばっくれてんじゃねえヨ‼︎‼︎ お前は父さんだけじゃなく、兄さんまで殺しタ‼ ……大好きな……兄さん……。だから殺ス‼︎‼︎ 死ねええええエエエエエエエ‼︎‼︎』
「させない‼︎」
 駛走したセナと、悪魔との一騎打ちが始まった。悪魔が鎌を振り回す――セナの首元を執拗に狙っている。セナは目に見えぬ速さで迫りくる攻撃を受け流すことに精一杯で、攻撃の余地がない。僕はなす術もなくセナを見守ることしかできなかった。
『ハハハ‼︎  いいね、いいねエ‼︎  いつまで受け止めてくれるのかナー⁇ アハハハハ‼︎‼︎』
「ッ……‼︎ あっ」
 セナの手から包丁が弾き飛ぶ――回転しながら地面に突き刺さり、静止する。
「セナ‼︎」
「アクアさん……‼︎  逃げ」

 振り向いたセナの顔が――無い。
 今にも倒れそうな、覚束ない足取りでゆらゆらと歩み寄ってくるセナの体――僕の目の前で立ち止まって――その手が、頬に触れた。
「あ……ああ…………セナ……」
 切れ目から湧き出す血で、セナの純白なスカートは赤く染まっていった。それからセナは僕の方へ倒れ込んで、もう動かなかった。
『ザマァ見ろ‼︎ ハハハ‼︎ 死んだ死んだ死んだーー‼︎‼︎』
「…………許さない」
『ン? なあニ? 悪いけド、あんたみたいな非力ごときに、この第六の悪魔は倒せないヨ??』
 無慈悲な鎌の先から滴る血を見た。僕は、この心の底から煮え滾るような憤怒を、何としてもこの悪魔にぶつけなければならない。セナの体を寝かせ、立ち上がった。
「許さない‼︎ セナを…………返せ――‼︎‼︎」
 セナの包丁を地べたから抜いて、悪魔に向かって振り翳す。僕は自分でも気がつかないうちに、悪魔の目前まで駆け出していた。包丁は悪魔の肩に突き刺さり、そこでふと我に帰る。――もうお終いだ。僕の心は達成感に満たされていた。
『……急所外しちゃいましタ⁇ ……ざあんねん‼︎ じゃ、死――⁈⁈』
 悪魔の足元から赤い煙が見え隠れしている。――その刹那、悪魔の体を火柱のような赤い炎が包み込み、盛んに燃え始めた。
『アアアアアアアアア⁈⁉︎ 熱い‼︎ 熱いよ‼ アアァァ……‼』
 悪魔は真っ黒な灰となって消えた。
 ……雨だ。大きな雨粒が僕の頬を撫でる。僕はセナの死体を交互に見つめて呆然と立ち尽くしていた。
「セナ……ごめんね。君を、守れなかった……」
 篠突く雨が、僕の慟哭を掻き消した。

 僕はそれから、セナの体を抱き上げ、頭の側まで魂の抜けた人形のように足を動した。雨に濡れて冷たくなったセナの体は異常に軽かった。
「こんな姿は嫌だよね……。痛いかもしれないけど、我慢してね」
 何も答えないセナの体と頭を寄せ、ポシェットから黄金の針と白銀の糸を取り出す。
 ……こんなセナを見て耐えられる心を、僕は持ち合わせていなかった。針の穴に糸を通そうと試みるも、目尻は熱く、セナの顔はぼやけ、指の先から頭の先まで震えが止まらなかった。
 何度も目蓋を拭っては、喉の奥から湧き上がる声を押し殺して、やっとの思いでセナを繕った。

「ご主人様……‼」
 閉ざされたはずの妖樹。その外方から現れたのは、紛れもなく僕が求めていた人物――レイセン君だ。剣を引き摺り、雫の滴る銀色の髪から覗く、眉根を寄せたその顔に僕は縋った……筈だった。
「どうして……もう少し、早く来てくれなかったかなあ……」
「……ご無事で何よりです。貴方だけでも……」
 レイセン君は僕の肩に手を乗せると、今まで隠れて見えなかったセナの死体を目の当たりにして驚いた様子だった。僕は有ろう事かその手を振り払っていた――針を持つ利き手で。何よりも先に、己の腕が勝手に動いていた。
「無事なもんか‼ 君があんな紙寄越すから、セナを助けられなかったんだ‼ 君のせいだ‼」
 考えなしに行動することがどれだけ愚かであるか……。我に返ると、レイセン君がほぞを噛んで、普段は隠れている右目を抑えていた。赤い涙が頬を伝う。
レイセン君‼ ……ごめん、そんな……そんなつもりじゃなかったんだ……すぐ治すから……‼」
「……ええ、確かに、私のせいです。余計なことを口走ってしまったせいで……まさか、貴方がここまでするとは思っていなかった……今もです」
 私が馬鹿でした。そう自責するレイセン君は、治癒魔法によって癒えた右目を差し置いて、若干短くなってしまった前髪をかき分けていた。
レイセン君……傷は大丈夫なの」
「……もう帰りましょう。衣服がずぶ濡れではありませんか」
「……君もね。……最後に、我儘なのはわかってるけど……セナに、エンゲイジリングあげてもいいかな」
 僕は、僕を愛した人に、碧い指輪を贈った。
 ……最初からこうしたかった。
 セナを木の幹に座らせ、港町に戻るとレイセン君に告げる。
「これ以上は……また涙が出そうだから」
「そうですか」
 二度と振り返らないよう、セナの相貌を目に焼き付ける。……愛くるしいその姿に、また会えることを願った。

 ***

「ご主人様、やはり、悪魔に襲撃を受けたのでしょうか」
「うん……。第六の悪魔って言ってた。……でも、悪魔の足元から急に炎が……」
「そういうことでしたか」
「と、言うと?」
 宿へ無事帰還した僕達は、水浸しになった装備を外に干し、シャワーを浴びた後、状況報告をしていた。
「妖樹で貴方達を探している途中、空に火の塊があることに気が付きました。」
「じゃあ、それが……?」
「ですがその後すぐに消滅してしまったのです。何が起きたのかと、そこまで行ってみれば……。本当に、気の毒です」
 レイセン君は両足を組んで椅子に背中を預け、淹れたての珈琲を啜っていた。僕は俯き、決意にも似た感傷を抱いていた。
レイセン君……僕、人を守れるようになりたいんだ。……もう二度とあんな悲しい思いはしたくない……だから」
「弓」
「え?」
「人を守るには、まず己の身を最優先に考えなければなりません。……その杖では心許無いでしょう。ですが、貴方の立場ステータスを考えると、近距離の武器は避けたい所です。」
「そっか! 遠くから攻撃できる弓なら、僕が前に出ることもない……だよね?」
 僕の質問に答える前に、レイセン君は立ち上がって着替えを始めた。
「行きましょう」
「ってことは……?」
「武器屋です。貴方、どうせ弓など触ったこともないでしょう。船に乗る前に、私が指導させていただきます」
「……ありがとう! あっ、待ってー‼」

 ***

――敵に向かい一直線に立ち……。
 体重を両足均等にかけて、膝は力まず、真っ直ぐに。
――腰を据え、両肩の力を抜き、背骨から頭の先までストレートに伸ばしてから……。
 落ち着いて、狙う敵の部位を定める。
――矢を乗せ、弦に番えた後、弓を持ち上げ……。
 肩の位置を決め、敵に向かって直線的に伸ばす。
――引き手の肘を大きく廻り込ませる様、意識しながら引いて……。
 顔に引き手を固定する。
――放つ!
「……やった‼ 当たった‼」
「ふあ……魔法使いさん? 何してるの?」
 見事、木の幹の中心部に矢を命中させた。かれこれ数十本は射ただろう。
 歓楽に浸っていると、眠気覚ましに偶々此処を訪れたというベンティスカの声がした。彼女はレイセン君に頼まれ、船がじきに到達することを知らせに来たのだと言う。もうそんな時間か。僕は急いで宿に戻り、荷物の整理を始めた。新調した武器を何度も眺めながら、セナの事を思い出さずにはいられなかった。

王国へ

 早朝から賑わいを見せる港町の船乗り場に現れた、一隻の白い船。搭乗口では、騒々しくも人影が行列を作っていた。その中に、桃色の髪の少女と、僕達を見て仰天した少年の二人組も並んでいた。
「あ……あーー‼ ノア、見てください‼ ……そっちじゃないですわ‼ ほら‼」
「えっ、君達……!? まさか、君達も王国フォシルに行くのかい?」
「その口振りだと、お二人も舞踏会に行くようですね」
「うん、まあね。僕はそうでもないけど……」
「何を仰っていますの! まるでフィリアの我儘に付き合わされているみたいじゃないですの‼」
「クク、私達も同じようなものです」
 そう言うとレイセン君はベンティスカを一瞥し、またノアとフィリアの方へ向き直った。ベンティスカは彼等の様子を交互に見つめてオロオロしている。
「あら? 彼方の背の高い女の人は……」
「えと、ベンティスカっていうんだ! スペリォールの館で眠っているところを見つけて……」
「よろしくね、お姫様」
「……フィリアと申しますわ。そういえば、グレイさんはどうしたんですの? 見当たりませんわね」
「…………」
「彼はもう、この世には居ません」
「……そう……ですの。なら、仕方がありませんわね」
 自由奔放な少女の代わりに謝罪をするノアは、フィリアを軽く小突くと、僕達に礼をして堵列の中を進んでいった。
「僕達も、並ばなきゃね」
「そうだね。……もうすぐ、十日か……」
 ベンティスカは意味有り気に呟くと、日が昇る海面を見つめていた。
 斯くして、僕達は王国フォシルへと向かう宿泊船へと乗り込んだ――。