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#13

ストーリー

驟雨の夜

 貸切状態の宿屋の調理場。レイセン君とベンティスカはエプロンを身につけ、採ってきたジェムの砂埃を払った。それからフライパンと、適当に開いていた店で手に入れた型と、染色液を用意していた。……チョコレートでも作れそうな下準備だなあと、思わずそっちを想像してしまう。
「これで?」
「あとは私にお任せください。……上手くいけば、これで出来る筈です」
 熱したフライパンに、角砂糖よりも少し大きめのジェムをぽんと放り投げる。すると結晶は見る見る溶け、そのまま液体となって残った。
「うわあ……‼ すごい‼ チョコレートよりも溶けるのが早いなんて‼」
「ああ、昔はそういった諺ことわざがあったみたいですよ」
「え? なになに?」
「さあ……何と言ったか……」
 レイセン君はベンティスカの質問を鼻先であしらうと、液体となったジェムを型に流し入れる。とろみがかった透明な水が、しっかりと型に嵌った。それから紅色の染色液を三滴垂らしすと、それを吸い込むようにジェムは色を変えた。
「……これで、後は冷えるのを待つだけです」
「どれくらいかかるの?」
「朝には固まっているでしょう。……これ、貴方の部屋に持っていきますか?」
「うん‼ そうする‼」
 ベンティスカは両手で大事そうに型を包み込み、足取り軽く階段を駆け上がっていった。
「……まさか、本当にできるなんて。意外でした」
レイセン君、やっぱり作り方知らなかったんだね……」
「ええ、初めて作りました」
「すごいよ君は……あはは」

 果たして作り方もわからないのに、本当にエンゲイジリングの形を作れるのか……。そんな僕の心配も杞憂に終わった。
 レイセン君はくす、と口元を緩め、エプロンのリボンを絞め直すと、また調理場のキッチンで足を止めた。
「さあ、お待たせしました。ご主人様が一番楽しみにしていた、夕食の時間ですよー」
「僕が食いしん坊みたいな言い方するのやめてよー」
「ボクも、手伝うよ」
 今まで椅子に腰かけて舟を漕いでいたセナが、急に立ち上がりレイセン君の横についた。
「今日はビーフシチューとサラダ、それから、ジュレとムースを乗せたデザートを作りましょう」
「じゃあ、ボクは野菜とデザートに使う果物切るね」
「任せました」
 セナは盲目であるにもかかわらず、適切な調理方法で次々と料理を完成に近付けていった。レイセン君の腕前は言うまでもない。二人はどこか楽しそうに、しかし料理には一切手を抜くことなく進めていった。
 ……そういえば、何故レイセン君は、僕やグレイが手伝うと言ったときはあんなに懸念していたのに、セナのことはすんなりと受け入れたのだろう。……何故だか悲しくなってきたから、これ以上は考えないことにする。
 出来上がった食事が次々とテーブルに並べられ、恒例による僕の胃袋が歓喜の声を上げる。
 いつの間にかベンティスカも、ビーフシチューの芳しい香りに引き寄せられるように椅子に座っていた。「わたしも手伝えばよかった」と半ば後悔した面持ちだった。
「いただきます! ……うん、美味しい‼」
「ホント? ボクが作ったんだよ。えへへ」
「今日は助かりました。少なくとも、普段のご主人様よりは」
 レイセンはセナに頷き賛同すると、辛辣な言葉を発した。
「うっ……それは言わなくていいよ!」
「ふふ……魔法使いさんは、料理苦手?」
「食べるのは好きなんだけど、作るのは……ねえ……」
「そういえば……話は変わりますが、今日の夜は豪雨がやってきそうですね」
 レイセン君の双眸は、確かに僕を見ていた。

 ***

 いつも通り皿洗いを手伝い、いつも通りお風呂に入り、いつも通り寝る……振りをして、パジャマから普段の装備に着替える。……ここまでは完璧。あとはセナが僕の部屋を訪れるのを待ち、誰にも見つからずにこの宿屋を出るだけ。
 自身の策士振りを発揮できたと、我ながら感心してつい口角が上がってしまう。
「アクアさん、来たよ」
 セナが扉を開ける。ローブに身を包み、その裾からは白いロングスカートが顔を覗かせる。手首にカンテラを提げ、その手に包丁を持った幼子は僕の側へと駆け寄った。
 作戦開始。直ぐに動くと怪しまれるから、三十分はこの部屋で待機する。
「ねえ……アクアさん」
「何?」
「探し物……探しに、行くんだよね」
「そうだよ」
「もし、ボクが見つけたら……指輪、作って欲しいな!」
 実はもうあるんだよ、あげようか? ……なんて言える訳もなく。セナの縋るような瞳に呑まれ、決して固いとは言えない口を開いた。
「わかった。でもその代わり、僕が見つけたらもう少し先延ばしだよ?」
「それでもいい‼︎ 勿論、アクアさんの手作り‼︎」
「え……僕が作るの?」
「うん‼︎ アクアさんのじゃないと、嫌だ」
「そっか。……じゃ、約束ね」
「やったあ‼︎」
 セナが握った拳の小指を突き出して僕に差し出す。僕も同じように手で形を作り、小指同士を絡めた。セナの小さな手が、僕の手と交わり一層縮んで見えた。

 窓の外は、街灯柱に支えられた照明街灯の仄かな明かりのみだった。僕とセナは顔を見合わせ、目で合図をした。
 なるべく音を立てないよう、慎重に扉へ近づく。ドアノブを捻り、廊下に誰もいないのを確認する。セナに目配りをし、部屋を後にした。
 僕の部屋は宿屋の一番奥で、向かいは二階へと続く階段がある。
 僕達が宿屋を出るためには、進行方向の斜め前にある、レイセン君の部屋を通らなければならない。固唾を呑んで、玄関口へと忍び歩く。……悪事を働いた盗賊宛らのスリルを味わった。
 レイセン君の部屋を通り過ぎると、調理場と居間が一体化した広間に出る。……ここまで来れば、あとは外へ続く扉まで一直線だ。

「……や、やった‼︎ なんとか出られたね……」
「あはは。バレなくてよかった……。やっと、アクアさんと二人きりだね」
「うん。さ、行こ……折角ここまで来れたのに、見つかったら水の泡だからね」
「そうだね!」
「よおし、スペリォールの館はあっちだよ。セナ、カンテラ貸して!」
 二人で手を繋いで、夜の港町を走り抜ける。微かに漂う海の匂いに振り返ると、水面は月の明かりをぼんやりと写し出す鏡のようだった。

「うーんと、確かこの辺りだったんだけど……」
「なになに?」
 以前妖樹を訪れた際に、スペリォールの館が現れたのは、この近辺の筈だ。今にも魔獣が咆哮を上げて襲いかかってきそうな……。悲鳴にも似た風音が鳴り止まない妖樹のただ中で、僕は足を止めた。
「風だ……。セナ、来るよ‼︎」
 足元から旋風が巻き起こる……館が出現する前兆だ。……次第に風脚は強くなり、僕は突風にさえ飛ばされてしまいそうなセナの体を引き寄せた。
 ……突然の風が去る。やはり館は朽ち果てた瓦礫となって姿を現した。つい先日来たばかりだというのに、倒木からは蔦や苔などが生い茂っており、中には花が咲いている物もあった。
「セナ、もう大丈夫だよ。ここがスペリォールの館。僕が探し物をするって言ってた場所だよ」
「で、何を探せばいいの⁇」
「本だよ。辞書だから、多分厚みがあると思……」
 セナは僕が説明をしている途中で、館の方へ走って行ってしまった。……セナの指輪に対する欲は計り知れない。
「ぜったい、アクアさんより先に見つけるんだ……」
「あはは……。よおし、僕も頑張るぞ!」
 僕は気合い十分に瓦礫の山を掻き分け、幾つかの書物が下敷きになった場所を見つけた。……おそらくここが図書館であった部屋なのだろう。一冊ずつ手にとっては題名を確認し、木の破片が邪魔でどうにも取り出せそうにない時には、最早装飾品と化した杖を使って掘り起こす。僕が只管に木を叩き割る音だけが、夜の森に繰り返し反響した。