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#10

危険な包丁

 「本当にごめんなさい。わたし達、こんな所初めて来たから、つい……」
「ふーん……そうなんだ。じゃあ、ボクのお家で紅茶を飲んで、一緒に遊ぼうよ」
 緑髪の子供は、首を傾げてにっこり笑うと、僕の腕を引っ張って家の中へと入っていった。
「うわ⁈ ちょ、ちょっと……」
「あなたから良い匂いがするの。ボクのだあいすきな」
「……⁇」

 子供に連れ去られた僕の後に続いて、レイセン君とベンティスカも部屋に立ち入った。木の家は人一人が住むには丁度良い広さだった。テーブルにふかふかの長椅子、丸い形の小窓もある。他には地下へと続く階段が一つ。
「ボクはセナ。ずっと此処に住んでる」
「そうなんだ……ねえ、小人さん。さっき通った道に落ちてたお菓子って何だかわかる?」
「……何のこと?」
「え? でもずっと此処にいるんだよね?」
「ボク、昔から何も見えないの。靄がかかったみたいに」
 セナはその障害をまるで無いもののように、手際よく紅茶を注いでいる。人数分を注ぎ終えると、トレーに並べた。
「目が見えなくてもできるなんて、セナはすごいね」
「……ありがとう。おかわりもあるよ。どうぞ」
「本当? じゃあ、いただきます」
 カップを口元に近づけると、甘い香りが鼻腔をくすぐる。紅茶を一口啜ると、独特の苦味を感じた。その後に来るすっきりとした味わいもまた心地良い。
 少し、セナが含み笑いをしたような気がした。

小人さん、紅茶おいしいね。……何ていう紅茶?」
「ダージリンだよ。他のは好きじゃないから」
「ダージリンにしては、少し変わった色をしていますね」
「だって、ボクの手作りだもん」
「……はい?」
 セナがレイセン君の言葉を遮るように、僕の手を優しく握った。顔をこちらにぐいと近づけて、笑顔を見せる。……僕は少し眠たくなってきた。ベンティスカも欠伸をしている。
「ねえ、アクアさん。ボクが男か女か当ててみてよ」
「え……セナ……の?」
「うん……そうだよお……」
 何度か目を擦ってみたけれど、睡魔はすぐそこまで迫ってきている。……なんでこんなに眠いんだろう。セナの質問も曖昧にしか思い出せず、とうとう僕はセナに体を預け、深い眠りについた。

 ***

 一体どれくらいの時間眠っていたのだろう。寝起きの身体はどこか気怠い。目を開けると、隣にいたはずのセナは居らず、ベンティスカとレイセン君の姿も見当たらない。
 ……どうやら、僕は閉じ込められてしまったようだ。僕が今いる部屋は鳥籠に似た釣鐘型をしており、人ひとりが寝そべるだけだも窮屈な大きさだ。鳥籠に蔦が絡まっていて、どこが扉かわからない。
「やっと起きた」
「セナ‼︎ ……レイセン君とベンティスカはどこ⁈」
 セナは無邪気な笑顔で、スキップをしながら小唄を口ずさんでいた。
「ボクの心配はしてくれないんだ……あんな奴ら、もうとっくに追い出したよ」
「え……? どういう……」
「だって、邪魔だったから」
 すんなりと蔦の扉を開け、右手に包丁を持ったセナが鳥籠の中へと入ってくる。
「ちょっと⁈ 何するつもり……わ‼︎」
「あはははは。慌てすぎだよお、アクアさん。でも、かわいいなあ」
 僕は後ろに逃げようとして、自分のマントに手を引っ掛け背中から倒れた。セナが僕の上に膝をついて乗っかる。……完全に逃げ場を失ってしまった。
「ねえ、さっきの答え、聞いてもいい……?」
「さっきのって……あ」
「わからないかな?? じゃあ、ヒントあげよっか……」
 セナの笑顔は子供らしさを失い、恍惚とした表情へと変わっていた。包丁を持ったまま両手を下げ、足首まで隠れるスカートをゆっくりとたくし上げる……。
「ちょ、ちょっと待って‼︎ セナは何がしたいの⁈」
「何って……アクアさんと一緒に居たいだけ……」
 捲り上げるセナの腕は止まらず、段々とその中が見えそうになる。思わず僕は、両手で顔を覆った。……それを見たセナは、クスクスと笑んで、手からスカートを離す。
「ふふ。そっか、ちょっと早かったかなあ?」
「は、早いとか、そういう問題じゃ……」
「じゃあ、こっちはいいよね?」
 セナの小さい両手が僕の頬に触れる。それから、顔を至近距離まで縮めて止まった。緑色のふわりとした髪から漂う甘い香りに鼻腔を蕩かす。吸い込まれそうな青い瞳にまじまじと見つめられ、僕は顔を赤くしつつ、息を止めた。
「アクアさんって、ホント初心だよねえ……でも、そんなことより……」
「う⁉︎」
 僕の唇とセナの唇が触れた。驚くほど柔らかな感触に、暫し戸惑っていた。……無意識にそれを受け入れ始めると、僕は自然とセナの後ろで手を組んで、引き寄せていた。その頃にはもう、セナは自分の世界に入り浸るように、瞼を閉じていた。
 
「……はあ……。ボク、アクアさんを一目見た時から、ずっとこうしたかったの」
「そう……なんだ……」
「うん。あははっ」
 セナの顔はいつの間にか、可愛げある子供のそれに戻っていた。
 不意に頭上から轟音が鳴り響き、遅れて部屋が大きく揺れた。呆然とする僕とは対照的に、セナは暗くてよく見えない道筋を睨みつけるように振り返り、鳥籠を後にした。
「いた‼︎ 魔法使いさん‼︎」
「ご主人様‼︎」
「ベンティスカ‼︎ レイセン君‼︎ 無事でよかった……」
「チッ……殺す‼︎‼︎」
 邪魔者を始末するべく、セナは殺気に満ちた瞳で包丁を握った。セナの動きは盲目である事を感じさせない程に素早く、瞬発力のあるベンティスカでさえも、その動きを追うことに精一杯のようだ。
「きゃあ‼︎」
「ベンティスカ⁉︎」
 瞬きする暇もなく、セナがベンティスカに包丁を向けて上から降りかかった。包丁がベンティスカの心臓に刺さる。その音は、肉に刺さったというよりも、何かがひび割れる音のようにも聞こえた。
「ご主人様、手当を……!」
「わかった!」
 僕はセナが出入りしていた蔦の隙間から脱出を図り、ベンティスカの手当を急ぐ。
 セナが次の攻撃に移ろうとその場を離れる直前、レイセン君がその腕を引っ張り、勢い良く放り投げた。軽々と持ち上げられたセナが宙を舞う。そのままうつ伏せに倒れた細い背を踏みつけた。
「うっ……ぐう……いきなり何すんのさ」
「これは、どういうつもりでしょう」
「五月蝿いなあ。たかが、アクアさんの奴隷の癖に」
「これ以上無駄口を叩くと、首を刎ねますよ」
 レイセン君は容赦する事もなく、剣を地面に突き刺した。セナの首元を既のところで切ってしまいそうな程、近い。……レイセン君の瞳にも、殺意に似た色が見える。セナはそれを見て目を見開き、諦めの舌打ちをした。
 一方、ベンティスカは胸のあたりを抑えて、半身を起こした。
「ベンティスカ、怪我はない?」
「びっくりした……。ちょっと痛いけど、すぐ治るよ。それより……」
 ベンティスカは上着の中からペンダントのような――グレイのエンゲイジリングを取り出した。紐をつけて首にかけていたようだった。よく見ると宝石は砕けていて、その破片が溢れている。
「こうしていれば、絶対壊れないと思って……ちょうど当たっちゃったんだね」
「……グレイが守ってくれたんだよ」
「……そうだといいな。ふふ。……あ、そっちは」
「あ、あのさ、レイセン君……セナも一緒に連れて行こうよ」
「正気ですか」
 僕の言葉に、セナは顔を上げて驚いている。
「だって、こんなところに一人じゃ可哀想だよ」
「アクアさん……」
「貴方は本当に……まあ良いでしょう。この生意気の家はもう壊してしまいましたし」
「え⁉︎ レイセン君どういう事⁈」
「強行突破したからです。仕方のない事でしょう」
「あのね、兵隊さんはわたしを助けてくれたの。あの後家を追い出されて、なんとか魔法使いさんを助けようとしたの。扉は鍵がかかってたから、木を切っちゃった……」
 木を、切っちゃった……? セナと顔を見合わせ、理解ができないといった様子で顔を傾げた。
「……じゃあ、帰ろっか……」
「ええ、港町も今頃閉鎖を解いているでしょう。……但し、条件があります」
「条件……?」

 ***

「うわあ……本当に、切ったんだね」
「ボクのお家……」
 地下の階段を登り、改めてセナの住んでいた大きな樹木を見ると、そこは空洞化した切株だった。轟音の正体はこの木が、レイセン君とベンティスカによって倒された音だったのだ。
「もー‼︎ 結構住み心地良かったのに!」
「自業自得ですよ」
 地団駄を踏むセナは、手首を後ろで縛られている。また暴れないようにと、レイセン君が出した条件だった。
「……別に、条件を飲まなくっても、勝手について行ってたんだけどー」
「あはは……まあまあ、転ばないように気をつけてね」
「……うん!」

 帰り際に、セナは色々な匂いや音に興味を示していた。スイートハウス近辺の事しか知らないらしい。溌剌と、元気に駆け回っては、何度も転びそうになりながら……。
「わ‼︎ セナ危ない‼︎」
「あ…アクアさんありがとう。くんくん。これは何?」
「それは……ただの木だよ。さっきも言ったけど……」
「「ぷっ……あはは……」」