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#9

ストーリー

Forget-Me-Not

 「グレイに謝るのは、明日の方が良いでしょう。今日はとことん頭を冷やしてください」
 皮肉めいたそれを真に受ける気力もなく、僕は自分のベッドに倒れ込んだ。
「では、おやすみなさい」
 僕が力のない返事をした頃、レイセン君はもう部屋を出て行ってしまった。

 この世界で目覚めて、そして初めて喧嘩をした。
 大丈夫、すぐに仲直りできる……。何度もレイセン君に諭された。……ただ、僕は皆と少し違う。彼の言う普通が、僕にさえ通用すればいいのだけれど。
 ……グレイ、また仲良くしてくれるよね?
 ……明日は、謝ろう。
 ……ぜったい。
 …………。

 ***

「ご主人様!! 早く起きてください!! ご主人様!!」
 やけに慌ただしいレイセン君の声が脳裏に響き渡る。昨日のこともあり、真っ先に嫌な予感を察すると共に目が冴えた。
「……まさか」
「グレイが、亡くなりました」
 彼の台詞が、僕の頭の中で残響のように繰り返される。
「嘘……」
「嘘ではありません。まずは、着替えを済ませて、それから彼に会いに行きましょう。詳しいことは其処で」
「今グレイは!? どこにいるの!?」
「自室のベッドで。今はベンティスカが……」
 レイセン君の言葉が全て聞き取れないうちに、別の部屋から、女性の哀哭が耳に劈く。その光景が目に浮かぶようで、僕は耐えられず目を瞑った。
「先に言っておきますが。……貴方のせいではありませんよ」
 レイセン君の一言が冷たくて、痛い。泣きそうになりながら目尻を拭って、いつも通りの支度を済ませた。
「私は先に行って様子を見ています」
「待って。僕も今行く」

 一人が怖くて、気持ちの整理もつかないまま、とうとう此処までやってきてしまった。僕はグレイの部屋の前で立ち止まったまま、その扉を開けることができなかった。
 レイセン君が僕の様子を察してドアをノックした。……返事はない。彼は無言で扉を開けると、僕を手招いた。
「失礼します。……気分は如何ですか」
「ええ、さっきよりは、落ち着いたつもり……」
 ベンティスカは嗚咽を漏らしながら、赤くなった目尻を抑えていた。彼女はまだ寝巻のままだった。
「ご主人様、これが最後です。ちゃんとグレイに……」
 僕は、事実を目の当たりにするのが恐ろしくて後退りしてしまう。が、グレイの眠ったような死に顔が目に飛び込んでくるや否や、居ても立っても居られなくなって飛び出した。
「グレイ‼ ……嘘だよね? 僕まだグレイに謝ってないよ、グレイが死んじゃったら許してもらえないじゃん‼ ねえ早く目を覚ましてよ‼」
 ああ、胸が痛い。痛いよ、グレイ。
「……グレイ、昨日は、ごめんなさい、本当に……」
「大丈夫。きっと黒猫さんは許してくれるよ。だって優しいもん」
「どうして……この指輪は人を生かすものじゃなかったの……? どうして、グレイは死んでしまったの?」
 僕はグレイの指をぼう、と眺めた。そこに薄らと存在感を主張するものを睨み付ける様に。
「……元々グレイは何か病に侵されていたのでしょう。彼の顔をよく御覧なさい」
 グレイの口元から、もう時間が経って黒くなりかかった血の跡が流れていた。真っ白だったシーツの上にも、血飛沫のようにそれは広がっていた。……そんなことにも気が付けないほどに、僕は心を取り乱していたのか。
 また茫然としながら、目線を手元に戻す。……指輪の色が、違うような。遂に自力で見つけた彼の変化に少しばかり目を見開いた。
「ねえ、レイセン君。グレイの指輪、こんなに色薄かったっけ……」
「これは……元々の色が褪せてしまった様にも捉えられます」
「あ、ほんとだ。昨日見たときは、もっと紅かったよ」
「ええ。ですが、グレイの死と、この指輪に何か関係が……少し調べ物をしてきます」
 部屋には僕とベンティスカ、そしてグレイが取り残された状態となった。そういえば、僕は面と向かってベンティスカと話をしたことがない。けれど、こんな状態では何を話していいのかもわからなかった。
「……」
「ねえ、この指輪、わたしがもらってもいい?これから先も、グレイと一緒にいたいの……」
「ああ……っと、大丈夫、かな」
 ベンティスカはその答えを待ちわびていたかのように、微笑む。そして、グレイの指先から指輪を取ると、自身の掌に乗せ、しっかりと握った。
「ありがと。元々、魔法使いさんの指輪なの?」
「うーん、僕のっていうより……いつの間にか持ってたんだよね」
 僕の曖昧な答えに首を傾げながら、ベンティスカは自らの左手と、色褪せた指輪をまじまじと見つめていた。
「そう……。グレイがね、結婚しようって言ってこの指輪を渡してくれたの。……嬉しかったなあ」
 ベンティスカの青い瞳は、窓の外を悲しげに見つめていた。

 港町の朝は静寂が漂い、吹く風が肌に沁み渡った。僕達はグレイを弔う為に、棺の代わりとして小舟を用意した。そこに彼を乗せ、その周りに、ベンティスカが急いで摘んできた野花を添えていった。
「やっぱりお別れは、さみしいよ」
 ベンティスカはグレイに語りかけるように呟きながら、寒々とした空気を気にもせず、黙々と花の冠を編んでいた。
「できた」
「これを、グレイに?」
「うん、きっと似合うよ」
 グレイの頭にそれをふわりと添える。花の名は「勿忘草」と言うらしい。その名のついた色が良く映える。
「二人とも、そろそろグレイを……」
「ごめん、あと少しだけ」
 ベンティスカの頬を涙が伝う。花冠を纏ったグレイの髪が太陽の光を浴びてひときわ美しく思われる。

「兵隊さん。舟、出して」
「心の準備はできましたか」
「うん、もう泣かない」
 レイセン君が頷き、舟を固定していたロープの紐を解く。それから、浮き沈みを繰り返す舟を、力一杯に押した。少しずつ、僕達から離れてゆく。
「……グレイ」
 ベンティスカが名前を呼んだその人は、日の出に向かって進み始めた。もう戻ってくることはない。
「グレイ‼ わたしはあなたの事、絶対に忘れたりしない‼ だからあなたも、わたしを忘れないで……」

 そして僕達は、グレイの死を受け入れた。

 ***

「お気持ちは重々承知しておりますが、食事だけはきちんと取ってください。これでも減らしたつもりなんですよ」
 朝食が全く喉を通らない。それどころか、フォークを持つ手すらも動かない。それは僕だけではなく、ベンティスカや、催促しているレイセン君本人も同じようようだった。
「……そうだね、ちゃんと食べないと……むぐむぐ」
 最初に乗り出したのはベンティスカだった。グレイいた数日間、賑わっていたなあ。今更ながら、グレイのいない朝に、違和感にも似た虚無を覚えた。
 僕は突然、わざとらしく大食らいになった。

「ねえ、兵隊さん。わたし、今日も剣の稽古がしたいの」
 ベンティスカの衝撞はきっと誰にも抑えることはできない。彼女の意志は、僕の想像をはるかに超えて大きなものだ。
「ええ、まずはあなたに強くなっていただかなければ。ですが、そろそろ次の目的地へ向かおうと思っています」
「そうだね。きっと怪物に会うだろうし」
「……確かに、ベンティスカは才があります。慣れた方が早いかと」
「そうこなくっちゃね!」
 彼女はいつにも増して輝いて見えた。しかし、その昂奮を掻き消したものがあった。間もなくして、町中に恐怖を体現したかのような警鐘が鳴り響いたのだ。あからさまに奇異とした状態であることを告げる鐘の音に、緊張の糸を張り巡らせた。
「この警鐘は…?」
 レイセン君が素早く窓に駆け寄り外を確認する。
「まずい……港が閉鎖されてしまう。急いでここを離れましょう。皆さん急いで!」

 外は真昼の時間帯にもかかわらず靉靆あいたいたる雲が棚引いている。それを拒むように、住宅街の扉は固く閉ざされ、僕とベンティスカが武器を買ったお店までも、「Close」と書かれた看板が垂れ下がっていた。
 なんとか港が閉鎖する一歩手前で町を出た僕達は、レイセン君の後をひたすら追いかけていた。
レイセン君……一体町で何が……」
「悪魔です」
 悪魔……その言葉を耳にした途端、いつか倒した第五の悪魔、オーランのことが頭に浮かんだ。
「また……あんなのと戦わなきゃいけないの」
「ええ、そうです」
「…………」
 酷い話、あんな人影がどうにかなったところで、僕には何の関係もない。思わず逃げ出したくなった。……戦うのは僕じゃないけれど。
「ねえ、兵隊さん。次はどこに行くの?」
「スイートハウスと呼ばれる森へ。オレイアスでの閉鎖は、そこから放たれているであろう瘴気が原因でしょう」
「その瘴気の原因は悪魔……」
「ご主人様の勘は冴え渡っていますね。その通りです。ですが、私達にはその瘴気に対応できるだけの力があります」

 その時、隣の木が俄然として倒れる。誰が手を貸したわけでもなくブチブチと音を立てて、根元から引き抜かれた。
「魔法使いさん危ない! 避けて‼」
 それはただ倒れてきたわけではない。大きく口を開けた樹木が僕を食べようとしていたのだ。その歯は人と同じような形をしている。ベンティスカが僕を引っ張ってくれなかったら、片腕を持って行かれていただろう。幹の隙間から生える二本の腕とも相俟って、あるべき魔獣の姿というものを思い出した。
「ベンティスカ、いけそうですか」
「……やってみる!」
「くれぐれも無理はしないでください」
 ベンティスカが双剣を構えると、人面樹に向かって駛走しそうする。一方の剣で腕を、もう一方では足のように動く根を狙う。人面樹は目前の餌を食らわんばかりに大口を開いて下降する。しかし、その動きが鈍く、ベンティスカはひらりと身をかわすと狙い通りの部位を切り裂いた。
「すごい……」
「才があると、言った通りでしょう?」
「ふふ、これでお終い‼」
 白髪の剣士は噴霧される鮮血さえも華麗に回避し、クロスした両腕を思い思いに振り下ろす。すると人面樹は悲鳴にも似た断末魔を上げて倒れた。
 
「……ふう。少し焦っちゃったね」
「これだけ戦えれば、十分ですよ。……次の課題は、自分の受けた傷に気付くことですね」
 レイセン君はベンティスカを称した後、親指に天使の涙を一滴垂らし、彼女の頬に付けた。どうやら暴走した人面樹の枝葉によって、軽傷を負ってしまったようだった。はっとした白髪の女性は、火照った顔を誤魔化すように微笑んだ。

 ***

「わあ…大きな木‼ 絵本でしか見たことない‼」
「おかしいですね……悪魔の気配が消えている……」
「この周りに落ちているものは、クッキーみたい! あ、キャンディーもあるよ! レイセン君‼」
「絶対食べないでください」
「ねえ、あそこの木には扉がついてるよ! 行ってみようよ!」
「僕も行く!」
「……遊びに来た訳ではないんですが。……全く」
 空にも届きそうな樹木がいくつも聳え立ち、見上げていると首が痛くなった。地面の彼方此方には菓子に似た何かが落ちている。まるで御伽話のような空間で、久々に僕の好奇心は最高潮だった。
「……あれ? 開かない……」
「人が住んでいるのかな」
 緑色の丸い扉の前で、僕たちは立ち止まっていた。周りを見ても、扉の付いた木はこの一本しかなく、誰かが今もここに住んでいるのかどうかは怪しいところだ。
「泥棒紛いなことをしないでください。悪魔がいないのであれば、ここに用はありません。帰りますよ」

 すると背後から――レイセン君の更に後ろから、徐々に此方へ近づく足音が聞こえた。
「…………」
 何かを呟いた声の方に振り返ると、カンテラと包丁を持った背丈の小さな子供が、僕達を不安そうに見つめていた。
「誰」