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#3

猫耳フードの少年

「お……驚かせてごめんね、えぇぇっとぉ……」
「あぁ……こっちこそ驚きすぎて悪かったな、ハハ……」
 グレイは表情豊かなその顔でにこりとした。

「名前……聞いてもいいかな?」
「あぁ。俺はグレイだ、宜しく」
 彼は黒ずくめでフードのついた布を羽織っている。彼の穿いていた赤色のかぼちゃパンツが気になった。
 グレイが僕に手を差し出す……。僕はその手をとり握手をした。彼は照れくさそうに笑った。
「あ……そこの兄ちゃん、名前は?」
「私はレイセンです」
「お、おぅ……宜しくな」
「…………」
 会話に入っていない僕にも、何故か体感的に長い沈黙が続いた。それが我慢ならなかったのか、グレイが話題を作ろうと口を開く。
「……そうだ! お前らも何か飲めよ。俺の奢りだ」
「馴れ馴れしい」
レイセン君の小さく冷たい声が、僕とグレイを驚かせた。
「へ?」
 グレイは戸惑いを見せたが、僕は声も出ない程だ。
「私に馴れ馴れしく話しかけないでください。あと、私のことは今後、『レイセン様』と呼びなさい……いいですね?」
 レイセン君はその鋭い目付きのまま、グレイを威圧するかのように言い放った。
「わ……わかり……ました」
 笑顔の少年はその表情を歪ませ、そう応えた後カウンタに椅子を向き直し、注文したミルクティーを飲んでいた。まるで気にかけないレイセン君は「さっさと宿へ行きませんか」と呆れた様子で僕に声を掛けた。
 僕達はお互いに状況を理解できないまま、猫耳フードの少年を置いて宿へと足を進めた。

 ***

「あぐうぅぅぅ! やっと腕が解放された……」
「どうされました?腸にナイフが突き刺さったみたいな声を上げて」
 どのくらい長い間抱えていたであろう飴の山を遂に下ろすことができた。身体が軽くなり、つい声を上げてしまっただけだ。あの自発的な騒ぎで僅かに落としてしまった飴が、気掛りとなってしまってはいるが。
「ご主人様、夕食の時間です」
 僕は郷愁のような、今まで経験したことのないような懐かしさを感じた。彼の『夕食の時間』に思わず反応する。
「うん。飴を片付けたら、すぐに行くよ」
  階段を降り食堂へ足を運ぶと、美味しそうな匂いがした。肉片が焼けた時の、あの焦げたような香りとソースの辛味の効いた芳香とが入り混じり、僕の鼻孔をくすぐった。
 胸を弾ませ食堂を覗く。しかし人はいない。
「そこに座ってください」
 姿なき声に応え、テーブルの大きさに釣り合わない程、小さな椅子に腰をかけ、料理が来るのを待っていたその時、ソースの香りと共にレイセン君がやってきた。
 ……何故か、エプロン姿で。

「え!?」
「……何か?」
「い、いや……あの、その」
 僕の反応とは裏腹に、彼は「これが普通ですがどうかしましたか?」と言いたそうな顔だった。
「この宿の者から借りたのです」
 返答は案外、平然。
「じゃあ、ここの人に作ってもらえば良かったのに……」
「あんな怪しい奴の作るものなど食べさせませんよ。毒でも盛られていたら、どうするおつもりですか」
 とは言っても正直な所、彼も信用し難い。僕が眉をひそめると、レイセン君が察した様子で言葉を付け加えた。
「私の料理に、毒など一切入っておりません。この命と代えても保証致しましょう」
 彼はわかり易い作り笑いを浮かべ、「次の食事を持ってくる」と調理場へ消えた。

 ***

レイセン君……?」
 宿屋のベッドにて。僕は眠気と同時に指輪のことを思い出し、欠伸をしながら呟くように呼んだ。「なんでしょう」とだけ聞き取れた。ベッドにこそ横たわってはいるものの目は冴えているらしい。
「話しておきたいことがあるんだ」
 レイセン君は真剣な眼差しでいる。
「この指輪をつけてほしいと、思って。友情の印……かな」
 僕が始め目を覚ました時から持っていた箱だ。エンゲイジリングに付いた九色の宝石が、月光に照らされ淡く光を放っている。
「あぁ……それのことですか。勿論良いですが、どの色でも構いませんか?」
「うん、何でも」
「ではこちらを戴きます。ありがとうございます」
 彼は瑠璃色の指輪を右手の人差し指に嵌めた。
「まぁ、この指輪を嵌めた程度で縁起の良いことがあるとは思い兼ねませんがね。それではおやすみなさい」
 嫌味を聞いた後、僕は魂の抜けた人形のようにぐっすりと眠った。

 ***

 私は自ら、義務を……「使命」を作り上げた。
『迷い子の……導き……召喚獣……』
 まだ幼かった私の目前に、唐突に現れた羊皮紙。今更、役目を終えたかのように汚らしく、黒い血を流し消えてゆく。
 さあ、直に主人が目を覚ますだろう。朝食の支度をしなければ。

 ***

 目を覚ますと既に、早々と身支度を済ませて椅子に座るレイセン君が……。
「……。……! い、今何時?」
 毛布を突き飛ばし、大慌てで支度を始める。
「そうですね……昼頃でしょうか。クク」
 僕が突き飛ばした毛布を丁寧に、そして緩慢と片付けながら彼は微笑した。
「そんなに寝ていたの? 起こしてくれても良かったのに……」
「私が早起きなだけ、ですから。……それともう一つ。『昼食』の支度ならとうの昔に終わってしまいましたので、いつでも声を掛けてください」

 テーブルに並べられたのは、ローストビーフにサラダ、少量のスープと、綺麗に飾られたムースだ。
「こ、これは……美味しそう、いただきます!」
「焦らなくて結構ですので」
 レイセン君は自分用に作ったガトーショコラを、フォークですくって食べ始めた。
「本当に君の作る料理は最高だね。これ本当に……うぉ、ごふ……」
「食事中のお喋りは禁止したほうがよろしいでしょうか」
 呆れか、或いは怒りを表したレイセン君は、黙って水を汲んできてくれた。
「はー……。あ、ありが……とう」
「どういたしまして。ところで、前から気になっていたのですが」
「へ? はひ?」
 彼は急に不思議なものを見る目になった。
「ご主人様……名前は、なんと仰るのですか?」
 「え……?」
 驚いた。なぜなら、僕自身も知らずにいたのだから。
「……分かりました。では私が今、ここで考えて差し上げましょう」
「あ、はい……」
 椅子から立ち上がり、少し考える素振りをした後、ゆっくりとその口を開く。
 僅かに笑みを含んだ、彼の口から――。

「……『アクア』……というのは、如何でしょうか?」

 ***

「……様万歳!!」「……様万歳!!」
 一人の人物めがけ湧き上がる歓声。
「遂に神となられるのですね! ……様、万歳!」
「……様、おめでとう!」

 肝心なところは聞き取れない。
 老若男女、ほぼ全ての人種が揃ったこの場では、一人の少年の儀式を行っている。その眼差しは、さながら生まれたての赤ん坊を慈愛する親のようだ。
 「皆の衆、よく聞くのだ。……今、この刹那において、……は神となった!」
 老人の声にどっ、と巻き起こる盛大な喝采。少年は俯いていた。老人が肩を叩くと、静かに微笑んだ。
「さて、皆も知っての通り……神になるということは、人の道を捨て、我々の崇高の対象となるということだ……。これから、新たに誕生する神に名を与える」

  静寂に包まれながら、少年と老人は身体を向かい合わせる。「心配はいらない」と微笑む老人に、少年は頷いて応え、凛々しい表情で跪く。――と同時に目の前の背景、音響にノイズが走った。邪魔だ。
「彼の名を……」
 ノイズが更にひどくなる。嗚呼、邪魔。
「   」

 何も見えない。