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#1

ストーリー

死の可能性

 

 「ふぁ……ぁ……」
 僕は目を覚ますと、思わず欠伸をする。それから無意識に目蓋を開いた。全く見覚えなどない、初めての全景。

 瓦礫の山が、ただそこに留まっていた。

 本当の色かさえもわからなくなった地べたに這いつく黒い塊の数々、水も出ることのない壊れた小さな噴水。

 沢山の人々で賑わっていたであろうこの広場はあまりに閑寂すぎた。
 灰色の空の下で、僕は孤独だと思った。
 ふと、僕は左手に重さを感じた。厚みはないが幅が広く黒い箱と、手紙のような何かが握られている。
「何これ……」
 その白い紙を見ると、少ない文章が書かれていた。どれどれ……。僕は読み始めるための言葉をぼやいた。

「このエンゲイジリングを、あなたが愛する9人の子に渡しなさい」

 黒い斜体の文字で丁寧に書かれていた。人が執筆したものとは到底考えられない。
 ところで……なんの事ですか。

 ……エンゲイジリング?
 その後は何も書かれていなかった。
 唯一僕がこの世界を知りえる手掛かりと思い、紙をポケットにしまい込んだ。

 次は、如何にも怪しい黒い箱。片手ですんなりと開いたが、軋む音が耳に残る。
「うわ…ぉ」
 僕は聞いたこともないエンゲイジリングという物を、無意識のうちに派手な指輪だろうと決めつけていた。
 粛として、そして燦然としていた。なんと清楚な指輪だろう……。
 成程、この指輪を僕の大好きな九人の子に……と、思う訳がない。
 昨日が無かった僕にとって、意味さえもわからないその言葉がずっと、僕の心に残り続けた。

 

***

 

 僕は突然に、顔を見たいという欲望が湧いた。僕はどんな表情を、髪型を、外観を、持っていたのだろうか。自分の姿すら、記憶になかったのだ。

 そんな矢先に、運良く無造作に落ちていた鏡を覗き込んだ。そこにあるのはこの世界の一部、そして――。
「……うわ⁉︎」
 鏡に映ったその顔は、驚愕の二文字だった。
 身体中を貼り巡る糸で埋め尽くされそうだ。顔も、服も。

「……酷い顔。これじゃあまるで、死体じゃないか」
 ゾンビと見紛う程の容姿を持ち合わせた僕は、自らの顔に驚く事もあるものなのだと初めて実感する。
 己の悲惨な姿に愕然としたところで、深呼吸をして辺りを見渡す。やはり、崩壊した街並みを見ていると、自分を見ているようで悲しくなってくる。
 唖然としながらも、崩れた瓦礫の向こうを眺めていると鬱蒼と茂る森。僕は唐突に、そこへ向かわなければならない衝動に駆られて歩き始めた。

 

 近づいてみると森は広大で、しかし薄暗く本当に気味が悪かった。だが、まるで星が揺らいでいるかのような夜のしじまに、安堵さえ覚えた。
 エメラルドグリーンの輝きは、行き場に困っている僕を案内した。途中道に迷うのではないかと考えたが、その心配はなさそうだ。獣道ができている。……ここを外れれば、きっとこの世の終わりまでここを彷徨うことになるだろう……。そんな恐ろしいことを考えてしまう余裕が、今の僕にはあったのだ。

 

 ***

 

「ふー。ぽかぽかして眠くなってきちゃった、もう大分歩いたような……」

 暫くすると、広々とした空間に足を止めた。人工的に作られたと思しきその広場の中央には大樹が仁王立ちをしている。その周りに長椅子が配置されていた。
 その中に一人の青年を見つけた。銀髪の青年は、長椅子に腰掛け、僕を気にする様子もなく眠っていた。起こす事に罪悪感を覚えつつも、何か情報を手に入れたいと哀願する僕は、彼に声を掛けた。
「す、すいません……」
「…………」

「……はぁ」
 予想通り、返事は返ってこなかった。
 流石に二度目は躊躇してしまい、結局何も得られぬまま、獣道のその先を進んでいった。

 それが間違いであることに気づくまで、数分も掛からなかった。

 

***

 

「この森、本当に出口あるの? もう疲れたよ……」

 こんなに歩いたのだから、そろそろ出口があっても可笑しくはない……。僕の身体が疲労を顕にした。

 

「…!? 何だ、今の音……」

 静かな森の調和が途切れた。草むらの揺れる音。距離は遠くない。何かと対峙する――そんな予感がした。それも、酷く嫌な予感が。

 「グルルルルアァァァァァ……!!!!」

 呻き声と共に狼らしき怪物が忽然と姿を現した。

 鋭く尖る牙、殺気を放った瞳、今にも裂き殺されそうな指爪。

 その獣は僕を見るなりこちらへ向かってきた。
 恐怖と焦りが僕を呑み込んだ。

 武器も何もない手ぶらの僕は、必死にその攻撃を避けることしかできなかった。それも長くは続かず、獣の攻撃が肩から腹部にかけて僕を切り裂いた。

「っう……あぁ……」

 痛みを抑えようとするも傷口が開いて、赤黒い血が滲み、段々意識が薄れてゆく。

 もしかしたら、僕はここで……。死に際が、僕の脳裏を過ぎって行く。


 ……?
 豁然とした静けさに戸惑う。
 丁度、終焉を悟ったばかりの耳に、人とは到底思えない断末魔が響く。
 ……??
 重たい目蓋を無理矢理開くと、獣は既に事切れた状態で地に伏していた。残骸は、首がなくなっているように見えた。辺り一面が血で溢れ返り、汚れている……。
 誰だろう……僕を助けに来てくれたとでもいうのだろうか……。

 洞窟の中で足音を聞いているような感覚と、此方に向かって来る軽装の人物――先程見かけた青年らしき人影。

 彼は僕の方へと歩み寄ってきて……そこで、僕の意識は無くなった。